泉 賢秀 『運も味方に健康力を高める医僧』
富山寿楽堂鍼灸院・整体院(旧 寿楽堂治療院)院長。浄土宗光山寺第16世住職。鍼灸学士。1969年生まれ。富山県射水市新湊出身。病院の東洋医学鍼灸部門の主任として8年間勤務後、1998年寿楽堂治療院を開院。
病院勤務時に、内科、整形外科、耳鼻科、婦人科、精神科、心療内科的なさまざまな病気を治療してきた経験の中で、忙しすぎて自分自身が慢性疲労状態になり、めまいや腰痛に悩まされた体験から、こころと身体をととのえる自分自身のツボでの治療習慣を25年間毎日続けている。
こころと身体を同時に癒せる治療法を探求中に、東洋医学と仏教の智慧をあわせた“気診”という気の診断治療法に出会い研鑽。
気診を根底にした毎日の自分自身の治療から、だれもが安心で、効果が高く、短時間で治療ができる方法を追求。心と身体をととのえる鍼灸気功整体を統合した『優しいツボ施術』で毎月500人以上に治療している。
「治療後はいつも心も身体も軽くなり、娘さんからお母さん笑顔増えたね!」という感想などもあり、これまで約30年間で17万人以上に東洋医学を根底にした女性や子供でも安心の『優しいツボ施術』を行い好評。
同時に生活の中の祈りや感謝、そして念仏を伝統あるこころと身体の健康法として伝道している。また、ダライラマ法王直系の弟子であり、活仏認定をされているザチョゼリンポチェ師より直接「薬師如来」の灌頂を授けられた。
光山寺に祀られる大仏と3,000体を超える仏像(千体佛)の恩恵も授かり、不妊症、更年期障害、うつ病や自律神経失調症なども改善。
薬にできるだけ頼らない心と身体の健康支援で、「子供を授かった」「ゆとりが持てるようになった」「家族との関係がよくなった」など感謝の声があふれ、
健康雑誌などでも紹介され、『開運治療』として特集テレビ番組でも放映された。
大手口コミサイトでも鍼灸、整体部門で富山県1位の評価を受け、テレビや雑誌など取材多数。
『心と身体の健康寺子屋』としての光山寺/寿楽堂の活動
あなたの 身体・心・たましいの健康そして 平安 と 幸せ を支援します。
1 病気にならないような
身体・心・たましいの健康維持の
サポートを行う。
2 病気になった時の手当てを行う。
身体のケア 痛みなどの身体的な苦痛を改善する
こころのケア 悩みや不安など精神的な面を癒し、安心に導く
たましいのケア 霊性を輝かせ、自然治癒力を高める
3 心、たましいが成長・進化することを支援する。
浄土宗光山寺第16世住職で寿楽堂治療院院長の医僧(泉 賢秀)が、供養、祈願、施術、カウンセリングを行うことをとおして、あなたが、健康でこころ豊かな人生を送るために支援します。
■■寿楽堂の理念■■
当院の理念は、目先の痛みをとるだけでなく、
長期的な健康の支援をしたいと考えております。
明るく、通院の意識を持って、楽しく寿楽堂に行く。
「寿楽堂に行くのが楽しみ!」という場を目指しております。
私の使命感は、笑顔と感謝が善循環する社会。
心が平安で、健康ないのちがいっぱいの世界になるよう支援する。
健康でこころ豊かな人生を送るために支援することです。
健康を大切にしている方に
長期的に楽しい生活を送っていただくため、
普段の姿勢、栄養、運動、睡眠、気持ちの側面から
長期的な健康維持、管理、予防のお手伝いをさせていただきます。
趣味・マイブーム・その他・スタッフ紹介
日帰り温泉 旅行 素敵な建築めぐり 気学風水
新湊高校卒業(私は野球部ではありません。)
'86年の春の選抜高校野球ベスト4(新湊旋風)メンバーは同級生です。
その影響もあってか三人の息子たちは少年野球を。
長男は高校野球でピッチャーとしてがんばりまして、
現在は教員と僧侶の二足わらじ。
次男、三男は大学生。一人は鍼灸大学です。
【夢はお母さんになること】
現在3人の子供に恵まれて幸せな生活を送っています。
ある女性の話です。
小学校の授業で、将来の夢の作文。
というものがありました。
「私の夢はお母さんになること。」
と書いて先生に叱られました。
多くの人が、看護師や学校の先生、または公務員、中にはアナウンサーなど・・・。
私の夢はお母さん。なんでダメなのか?・・・
先生は、作文課題に真剣に取り組んでいないと思ったのか、私を職員室に呼びだして叱りました。
なんでしかられるんだろう?
本当のことなのに。
中学生の時には、
動悸がひどくて、よく学校を休んだり保健室に行ってたりしました。
病院で精密検査をしました。
医者から中学生の時にこのような一言を言われました。
「20歳まで生きられないかもしれません。」
「子供を産める身体ではない・・・」 とまで。
うっそ!!!
でも、やっぱり
「私の夢はお母さんになって幸せな笑顔いっぱいの家庭で生活すること」
です。
現在47歳。
結婚して25年経ちました。
子供は3人。
24歳、22歳、19歳の3人の男の子に成長しました。
身体の弱かった私の治療をして、夢を叶えてくれた旦那に感謝しています。
時にはけんかをしたりもしますが、本来の寿命と幸せな家族に囲まれ幸せです。
今私は、受付という場をとおして
不妊やさまざまな症状で悩む人たちのサポートをしています。
多くの人の笑顔に出会えることをお待ちしています。
(院長の妻より)
■いのちの誕生のお手伝いと、あなたの笑顔を応援します!■
【私が開院した理由】
医僧の軌跡 ~医僧誕生の秘密のうら話~
「覚悟しておいて下さい」
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平成元年4月、突然父が脳内出血で倒れました。
私が大学3年生のときです。
手術できる部位ではなく
90%以上生きる確率はないといわれました。
昨日まで元気に働いていた父が、
病院のベットで酸素マスクをして寝ている。
医者は「覚悟しておいてください」と。
正直、何がおきたのかわかりませんでした。
もしかしたら父親がいなくなるかもしれない。
「あ、これ僕がお寺を継ぐしかないんだ。
継がなきゃダメなんだ。」
現実を受け入れよう。
現実を受け入れなければ・・・
人生は無常だな。
何が起こるかわからない。
未来はだれもわからない。
自分で何とかできなければ。
父は自らの身を犠牲にして、
言葉では表せない大切なものを
教えてくれたと感じました。
あえて言うなら、仏教の根本原理の「無常」を
身をもって教えてくれたと感じたのです。
世の中は、常ではないぞ!と。
悔しさと有り難さで涙が止まりませんでした。
時速130kmでの交通事故
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大学卒業後、交通事故に
大学を卒業し鍼灸師の免許を得、
僧侶の資格を取る覚悟ができた時、
父は奇跡的に後遺症はあるものの目を覚ましました。。
しかし、追い討ちをかけるように、
その約9カ月後の平成2年1月15日私は、
交通事故をおこしてしまいました。
幸い相手はなく自損事故でした。
北陸自動車道(高速道路時速130㎞)で交通事故。
3回転宙返りのような感覚の横転事故。
自動車の原型がないほど大破していましたが、
運転席だけは守られていた。自動車は当然廃車。
この事故によって私は変わりました。
ようやく気づいたといってもいいかもしれません。
正直に告白すると、
それまでほとんどしたことがなかったシートベルトを、
事故の3分前にしたのです。
3分前に何かを感じ、
手が自然とシートベルトへ伸びていました。
おそらく、シートベルトなしでは
この世にいなっかたとおもうのです。
事故はスローモーションのビデオを見ているようでした。
今でもよく覚えています。
そのスローモーション中に、
「自分は何か大きな力によって守られている。
生かされている。その力は目には見えないが、
はかり知れないほど偉大だ」と気づいたのです。
その力こそが“いのち“であり、阿弥陀様である。
陰の力である。お陰様だと深く感じました。
その陰の力に感謝して祈り、
信仰を元にした生活がそれからスタートいたしました。
人生は思い通りにならないからこそ価値がある。
そして何を学ぶのか。自分は何のために生まれてきたのか。
どのように生きていけばよいのか、自分の役割、
生きる使命その答えがわかりました。
それは、目には見えない陰の力の有難さを多くの人に伝え、
信仰を根底とした生活を営んでいただくことが
私の使命であると、そう理解したのです。
やる気満々・・・でも治療効果が出ない
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鍼灸大学を卒業してすぐ、はり灸師として病院に勤務しました。
新しい病院で、立ち上げから任せられ、
診察室のレイアウトから準備品など先輩に相談しながら行いました。
22歳の若造はやる気満々!!!
はり灸治療は、東洋3000年の歴史と伝統の医学です。
はりを教科書どおり刺せば治ると思っていました。
学校で習ったつぼへ、はりやお灸を施していきました。
しかし、そのうち、
「治らん。」「まだ痛いのだけど。」
「変わらん。」・・・・・
グサッ とくる言葉の数々をもらいました。
患者さんの悩みや愚痴、つらい症状を正面からきいて、
受け止め、どうしようもないことまで抱え込んでしまったのです。
やる気はあったのですが、精神的にとても堪えました。
教科書に書いてある通りにしても治らない。なぜ?
はり灸治療はツボに刺せばいいのではないか?
どうしてよくなる人とよくならない人がいるんだろう?
どうして、同じツボに治療しても
治る人と治らない人がいるのだろう?
良くなる人と、よくならない人の違いは何か?
治療時間が問題なのか?
様々な疑問と想いが交錯しながら
一人に1時間以上かけて治療したこともありました。
はりをたくさん刺せば治るのか? と思い、
30本以上刺入して治療したこともあります。
それでもそんなことでは、治療効果があがらない日々でした。
でも、それでも、来院者のか宝井k多田区
「有難う。」「助かった。」などの言葉を励みにがんばりました。
そんな悪戦苦闘しているうちに、
1年という時間はあっという間にすぎました。
これではあかん!
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これではあかん!と思い経絡治療を学び始めました。
経絡治療は東洋医学の古典的な方法だが、難しい。
それでも何とか勉強して、
実際に経絡治療を中心とした治療をはじめました。
当時、1日に20~30人ほど治療していました。
この人数をみさせていただくことは
当時の自分に撮ってはとても疲れを感じるものでした。
まず気づいたのは
はりをただ刺してもダメだ。ということ。
少なくとも思いをこめて治療するということ。
次に名人と言われる人の共通点を見つけました。
治療がはやい。治療が流れるようで時間が短い。
大工さんでも料理人でも一流は仕事がきれいで速い。
治療時間が長いのは上手くないということでした。
名人と弟子が、
同じ患者に同じつぼをつかって同じ道具で治療しても結果が違う。
要するに治療者によって効果が違う。
実は針灸は誰がやっても同じではない。
など・・・いろいろ気づきを得ることができました。
胸が苦しい
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そのころ、突然 「あ~・・・」 胸が苦しい・・・・・
なぜか手の皮膚はかさかさに荒れ、
顔色に若さのつやがない。
寝ても寝ても眠たい。朝起きるのがつらい。
そのうち、突然咳き込みだしたり。
突然背中や腰が痛くなったり。
自分の命をすり減らして治療している感じがしてきていました。
(身体がもたない。やめようか。そんな思いもありました。)
そんな時、鍼を刺すことなく痛みが治まった経験をしました。
何なんだ? 何かある。
いったいどうして針を刺すこと無く痛みがなくなるんだ?・・・
何をしたかというと、
「楽になったイメージをして」思いをこめて祈ったのです。
ただそれだけ。
そのとき私の中にスイッチが入りました。
気だ!
気を診断できれば・・・・!
気診との出会い
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ある先生の治療を見て驚嘆しました。
今となっては違和感はありませんが
いわゆる接触治療、そして気功治療でした。
針を接触させただけで治っている。手を触れずに治る!!!!
先生は、首の筋肉をつまんでいるだけ?
患者さんは3分ほどの治療でも喜んでいらっしゃいました。
治療は3分でも、雰囲気はゆったりとしていました。
そして、この場の感覚はとても気持ちよく感じたのも
覚えています。
交通事故のときに感じた、何かに守られ、
気持ちよく包まれているている感覚に近いものを感じた
といっていいでしょう。
そして、実際治療を受けてみたところ
曇り空が青空に変わる爽快感を味わうことができたのです。
あっ、これだ!!!
「治療は針をささねばならないという事はないんだ。
患者さんが喜べばいいんだ」
「治療の真髄はは気の調整なんだ」
私が探していたものはこれだと直感しました。
捜し求めてきたものが目の前にあったのです。
そのときのワクワクは今でも忘れられません。
平成6年、小田一先生、鍼灸気診研究会との出会いです。
気診とは気の診断と治療のシステムです。
頚部の筋肉をつまんで気を診断する検査法です。
それから気診を用いた治療をおこない、
多くの人の苦痛を笑顔に変えるための修行が始まりました。
自分がつらい状態では人を癒せない。
自分の治療が出来て初めて他人の治療が出来るだろう。
まず、自分の治療をしよう、と。
徹底的に自分の身体で実験した。気診で自分の状態を調べ、
適応するツボを気診で見つけ治療していきました。
これが気診という気の診断ができるメリットだろう。
治療がうまくいった時は自分の身体が楽になる。
うまくいいかなかったら変化はない。 と。
自分の身体は正直なものです。
気診の修行を始めて、3年ほどたった頃でしょうか、
気診のおかげで治療の効果がが劇的に変わりました。
気診により治療するつぼが分かるようになったり。
その後、念仏の治療で腰痛が治ったり。
自律神経失調症や更年期障害、うつ病が治ったり。
聖書の言葉でも治療でき、効果がありました。
気診ができてとても有難く思いました。
治療がスムーズに出来るようになるにつれて、
自分自身の体調もよくなったのです。
そして、家族からも気診治療してほしいと
頼まれる存在になった時、開院を決意しました。
寿楽堂 という治療院の名前の由来
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人はみな、「長寿」を願い「安楽」を願います。
寿とはいのちのこと。
院の名前を考えている時
私の脳裏には
いのちが楽しく、安楽な人たちが集まるお堂が思い描かれました。
そこで治療院の名前を、寿楽堂としたのです。
いっしょに、有り難い授かりものの
「いのち」を楽しんでみがき輝かせましょう。